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飛行神社

2008年08月04日 10:09(旅行・観光

毎年お盆が近づくと、あの飛行機事故が思い出されます。
今年でもう23年が経って少しずつ記憶も薄れてきていますが、8月の暑さとともにあの日の出来事の衝撃がよみがえります。

飛行神社s.jpg


八幡市の岩清水八幡宮の近くに、航空安全を祈願する「飛行神社」という
神社があります。

二宮忠八が創建した神社ですが、この人物を皆さんはご存知でしょうか?
吉村昭の著書「虹の翼」を読んだことがある方ならば、知っておられる
ことでしょう。

ライト兄弟よりも先んじて、有人飛行機を世界で初めて設計した人物と
言われています。

二宮忠八は、慶応2年(1866年)愛媛県八幡浜で生まれ、21歳で
丸亀の歩兵連隊に看護兵として入隊します。
ある時、烏が滑空するのをみて飛行機の製作を思いついて、明治24年
(1891年)にゴム動力プロペラ式飛行器「カラス型一号器」の飛行を
成功させます。
続いて、有人飛行器である複葉の「玉虫型飛行器」の開発を手がけますが、日清戦争が起きたため、従軍することとなります。
戦地では、通信や偵察などに飛行機の利用価値があることを気付き、
完成していた設計図を添えて、軍上層部に開発を上申しますが、却下され
てしまいます。明治27年(1894年)のことです。その後何度も開発を
上申しますが、全て却下されてしまいました。
32歳の時に退役し、大阪で製薬会社に勤め、薬品製造に専念して業績を
あげていきます。

明治34年(1901年)35歳の時に、故郷と同じ地名である京都の八幡に自宅を建てて大阪から転居し、ある程度資金面でも目処がついてきたので、翌年から独力で飛行機開発を成功させようと、取り組みはじめます。
しかしながら、1903年にアメリカでライト兄弟の有人飛行実験が成功し、そのニュースを知った時、彼は心血を注いでいたすべての研究を取りやめてしまい、二度と飛行機の開発をすることはありませんでした。

飛行神社本殿s.jpg

その後、世界中で航空機の開発は急速に進んでいき、1914年から始まった第一次世界大戦では、二宮忠八の予測していた以上に、飛行機が戦争の主役として登場しました。彼が陸軍在籍時に飛行機開発を上申してから20年後のことです。
現在にいたるまで航空機は大きく発展を遂げることとなりますが、それにともない、航空事故によって多くの犠牲者もでることとなってしまいます。
そのような事故に心を痛め、飛行機開発に関わった者の責任として犠牲者
の霊を祀るべきだと考えて、大正4年(1915年)私財で「飛行神社」を
創設したのです。
そして、昭和11年(1936年)70歳で亡くなりました。

プロペラ類.jpg

鳥居がジュラルミン製の「飛行神社」境内には、ジェットエンジンや零戦のプロペラなどが設置され、隣接している資料館には、二宮忠八が実験に使用した模型などが展示されています。

二宮忠八がずっと願っていたように、あのような飛行機事故が二度と起き
ないことを祈ってやみません。


▼飛行神社  京都府八幡市八幡土井44


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