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一休寺
2008年09月22日 10:37(旅行・観光)
一休さんが晩年に暮らした寺として有名なのが、京田辺市にある一休寺
(酬恩庵)です。

もとは鎌倉時代に禅道場の妙勝寺として創建されたのがはじまりで、その後、戦火にかかって荒廃していたものを康正二年(1456年)に、一休禅師が復興し酬恩庵と命名しました。
一休の母親は、南北朝合一後に、天皇である後小松天皇の寵愛を受けていましたが、南朝方だったため、讒言によって御所を追われ、明徳五年
(1394年)に隠所である嵯峨あたりで一休をうみます。
それからの一休は、天皇の血を引くものとして、権力への欲がないことを示すためにも幼い頃から仏門に入ることが必要となります。

6歳で出家して修行を続け、21歳の時に大徳寺の高僧である華叟宗曇
(かそう そうどん)の弟子となってから、一休という道号を授かります。
そうしますと、テレビのアニメのように、子供の頃から一休さんと呼ばれ
ていた訳ではなかったようですね。
その後、一休禅師は、酬恩庵で隠棲をはじめ、文明13年(1481年)
88歳で亡くなるまで、ここで生涯を過ごしました。

81歳の時に、応仁の乱などの戦乱ですっかり荒れ果てた大徳寺の再建
の為、勅命で大徳寺第47代住持の職となりますが、酬恩庵を離れずに大徳寺まではお輿に乗って通います。そのお輿が残っていて、方丈に展示されています。

境内にある一休禅師の墓所は、菊の紋章がはいった門で閉ざされていて、その場所だけが宮内庁の管轄となっているため中に入ることができません。
彼の出生が理解できます。

境内を奥まで進んでいくと、アニメの一休さんのイメージに合わせたよう
な像があり、さらに小さな石橋の脇に「このはしわたるな」の札が
かかっていましたので、思わず微笑んでしまいます。
ここ一休寺は、京都市内から離れた場所にありますので、訪れたときは参詣者もまったくいなくて、ノンビリゆっくりと境内を巡ることができました。
アニメの一休さんが言うように、「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ」というひと時でした。
▼一休寺(酬恩庵) 京田辺市薪里ノ内102
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