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京子のズバり予想問題
上杉本『洛中洛外図屏風』の作者
2006年11月28日 10:29(建築・庭園・美術)
京の四季風俗を描く『洛中洛外図屏風』の作者はだれか。
(ア)狩野永徳
(イ)狩野探幽
(ウ)狩野山楽
(エ)狩野元信
正解は(ア)狩野永徳
狩野派は、血族関係を基本とする画家集団で
室町中期から幕末まで、実に400年にわたり
日本画壇の中心として活躍しました。
京子は美術史の専門家ではないので
あんまり詳しいことはわかりません。
でも狩野派のはじまりは京都ですから
最低限のことはしっかりチェックしておきたいところです。
誰がどんな作品をいつ残したか?
これをひたすら暗記するのは学校の試験勉強みたいで
正直言って面白くありません(まあ、京都検定も試験ですけど)。
でも足利→織豊→徳川という政権交代の歴史とからめて
人物や作品を自分なりに整理してみると、意外とおもしろく
すんなり頭に入ってきます(これも京子流の京都検定勉強法です)。
まず始祖は室町幕府の御用絵師となった狩野正信。
足利義政に仕え、東山山荘の障壁画に携わったそうです。
大徳寺真珠庵の『竹石白鶴図』も有名です。
正信の子・狩野元信は、狩野派の画風の大成者。
大徳寺大仙院の障壁画は元信の手によるもので
『白衣観音図』(ボストン美術館)もよく知られています。
狩野永徳は元信の孫。
織田信長、豊臣秀吉に仕え、安土城や大坂城の障壁画を制作しました。
今回出題した『洛中洛外図屏風』も永徳の作品で
当時の京都の四季と人々の生活の様子が生き生きと描かれています。
歴史の教科書にも必ず出てくるほど有名ですから
みなさんもご存知ですよね。
この『洛中洛外図屏風』は、天正2年(1574年)に
織田信長から上杉謙信へ贈られたものです。
天正2年といえば、すでに室町幕府は崩壊。
信長は近江浅井氏、越前朝倉氏も討ち
最大の敵であった武田信玄も上洛途上に死去。
この時期、信長の「天下布武」への夢は現実味を帯びてきます。
それでも越後の虎・上杉謙信の存在は気になったのでしょうね。
『洛中洛外図屏風』を上杉謙信に贈ったことに
そうした信長の配慮を感じることができます。
話が脱線しましたがその後の狩野派です。
永徳の長男は狩野光信。
光信は父永徳とともに信長に仕え、その後豊臣秀吉に仕えます。
昨年の京都検定1級では、光信が描いた相国寺の法堂の天井画
『蟠龍図』(鳴き龍)が出題されていましたね。
他に有名なものとして法然院の障壁画もあります。
永徳の孫には狩野探幽がいます。
探幽はなんと11才の時に駿府の徳川家康に謁見
早くもその才能を評価されます。
その後は江戸に移住し、16才で徳川幕府の御用絵師となり
江戸城や二条城の障壁画制作の指揮をとることになります。
さて探幽が江戸で活躍する一方、永徳の弟子であった狩野山楽は
京都に留まり、その一派は「京狩野」」と呼ばれます。
代表作に大覚寺障壁画「『牡丹図』『紅白梅図』があります。
(これは公式テキストにも記載が有りますので覚えましょう)
以上、狩野派についてまとめてみましたが
ご参考になりましたでしょうか?
もっと楽しく、詳しい説明ができる方に
コメント・トラバで補足してもらえるとうれしいです。
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