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    <title>京子のズバり予想問題</title>
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    <updated>2008-11-13T04:55:21Z</updated>
    
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    <title>退蔵院「瓢鮎図」の作者は？</title>
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    <published>2008-11-01T08:50:21Z</published>
    <updated>2008-11-13T04:55:21Z</updated>
    
    <summary>退蔵院の「瓢鮎図」（国宝）の作者は誰か。 　ア）如拙 　イ）周文 　ウ）雪舟 　...</summary>
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            <category term="architecture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>退蔵院の「瓢鮎図」（国宝）の作者は誰か。</strong>
　ア）如拙
　イ）周文
　ウ）雪舟
　エ）墨渓]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ア）如拙</strong>

いよいよ11月です。

京都検定の本番が近づいてきましたが
みなさんは、もう、お申込はすませましたか？

試験勉強もさいごの追い込みの時期、と思います。
そこで今日は、美術のジャンルからの基本的な問題を出してみました。

２、３級レベルをめざすかた、当然、即答ですね。

１級をめざす方であれば<strong>「瓢鮎図」（ひょうねんず）</strong>は
漢字で書けなければいけません。

さて、<strong>如拙</strong>は南北朝時代から室町時代中期の画僧。

くわしいことはあまりつたわっていませんが
足利将軍家とつながりがあったそうです。

この「瓢鮎図」（国宝）も４代将軍<strong>足利義持</strong>の命により
描かれたそうです（義満という話もあるようですけど）。

この水墨画には、瓢箪（ひょうたん）で
鯰（なまず）をとろうとしている男が描かれています。

<strong>　「瓢箪で鯰がとれるか？」</strong>

将軍様のこの問いかけにこたえたものが
この絵なんだそうです。

<strong>　ちょっと待って！だったら「瓢鮎図」ではなくて
　「瓢鯰図」じゃないの？</strong>

と、つっこみたくなったかた、ぜひ、<a href="http://www.taizoin.com/taizoin/hyonenzu.html">妙心寺退蔵院</a>のＨＰをごらんください。

1級受検のかた、漢字は「鯰」（ナマズ）ではなく「鮎」（アユ）ですよ]]>
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    <title>京ことばの「イチビル」って？</title>
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    <published>2008-10-01T02:45:28Z</published>
    <updated>2008-11-04T01:11:53Z</updated>
    
    <summary>京ことばで「イチビル」とはどういう意味か？ 　ア：ありあまる 　イ：いいかげんな...</summary>
    <author>
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    </author>
            <category term="life" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>京ことばで「イチビル」とはどういう意味か？</strong>
　ア：ありあまる
　イ：いいかげんな
　ウ：調子にのってふざける
　エ：気ぜわしい]]>
        <![CDATA[<strong>正解は、ウ：調子にのってふざける</strong>

<strong>　「自分、ほんまイチビリやなあ」

　「イチビッてばかりでどもならん」</strong>

関西の人にはおなじみの「イチビリ」「イチビル」。

近所の男の子もよくこういわれていました。

もちろん、ほめ言葉ではありません。

「調子にのるな」「いいかげんにしてよ」という
ニュアンスがありますのでねんのため。

ということで、今日は京ことばから出題してみました。

　。。。えっ？　手抜きですって？？

<strong>　今日はかんにんえ。</strong>]]>
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    <title>大蔵流狂言の茂山家</title>
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    <published>2008-09-05T09:53:34Z</published>
    <updated>2008-09-05T10:21:14Z</updated>
    
    <summary>大蔵流狂言の茂山家九世正乕の弟弟子である 小林卯之助が立てた家はどこか？ 　ア）...</summary>
    <author>
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    </author>
            <category term="art_culture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>大蔵流狂言の茂山家九世正乕の弟弟子である
小林卯之助が立てた家はどこか？</strong>
　ア）茂山千五郎家
　イ）茂山千作家
　ウ）茂山忠三郎家
　エ）茂山千三郎家]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ウ）茂山忠三郎家</strong>

いよいよ夏もおわり、本番が近づいてきましたが
みなさまはいかがおすごしですか？

さて、今日は＜芸術文化＞のジャンルからの出題です。

<strong>茂山家</strong>は大蔵流に属する京都の狂言師。
禁裏や社寺に参勤していましたが
1821年八世<strong>茂山久蔵</strong>の代で一度とだえています。

そこで久蔵の弟子の<strong>佐々木忠三郎(千五郎正乕)</strong>と
その弟弟子の<strong>小林卯之助(初代忠三郎)</strong>が大蔵家元の弟子となり
1825年茂山家の再興を許されます。

これが現在の<strong>茂山千五郎家</strong>と<strong>茂山忠三郎家</strong>で
両家はいまなお、京都の能楽界をささえています。

ちなみに、茂山千五郎家を立てた佐々木忠三郎は近江の人。

大河ドラマ<strong>『篤姫』</strong>で<strong>中村梅雀</strong>さんが
「おそれいり、おそれいり、おそれいりたてまつります」と好演した
チャカポンこと<strong>井伊直弼</strong>に召し抱えられた人です。

（これ、検定試験に出ましたね、むかし）

そういえば、ぜんぜん関係ない話題で恐縮ですが
<strong>寺田屋</strong>さんが、ちょっととんでもないことになっていますね。

これから、『篤姫』で、<strong>島津久光</strong>さんが京に上ってくるし
<strong>坂本龍馬</strong>さんも登場してくる。

きっと、たくさんの観光客が訪れるてくださるでしょうに。。。

　「寺田屋は当時の建物ではないのでは？」

京都市のＨＰでは、とりあえず寺田屋さんの記述を削除されたとか。

まあ、真実は知りたいですけど
でも偽物よばわりするのもどうかと思うのは私だけ？

とはいえ、「じゃあ、龍馬さんが格闘したときの柱傷や
ピストルの跡はなんなの？」という疑問もわきますけど。

みなさんはどう思われますか？

ぜんぜん問題と関係ないですが
<strong>おそれいり、おそれいり、おそれいりたてまつります〜</strong>]]>
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    <title>足利歴代将軍の木像を安置する寺院</title>
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    <published>2008-08-04T01:33:45Z</published>
    <updated>2008-08-04T02:36:52Z</updated>
    
    <summary>足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建し 霊光殿に歴代将軍の木像13体が安置されてい...</summary>
    <author>
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    </author>
            <category term="temple_shrine" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建し
霊光殿に歴代将軍の木像13体が安置されている寺院はどこか？</strong>
　（ア）等持院
　（イ）南禅寺
　（ウ）相国寺
　（エ）珍皇寺]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ア）等持院</strong>

8月･･････暑いですねぇ･･････

もう、なにもしたくないほど暑いですねぇ。

京都の夏が暑いのは当然のことなんですが
ここ数年の暑さは、異常です。

やはり地球は病んでいるのでしょうか。

かなり、、まいっている京子です。

さて、今日は<strong>等持院</strong>に関する問題です。

等持院は臨済宗天龍寺派の寺院で
足利尊氏が<strong>夢窓疎石</strong>を開山として創建。

足利氏の菩提寺として、霊光殿には
歴代将軍の木像13体が安置されています。

等持院といえば思い出すのが
幕末の<strong>足利三代木像梟首事件</strong>！

文久3年（1863）2月22日、
等持院の<strong>足利尊氏、義詮、義満</strong>の木像の首が
賀茂川の河原にさらされた事件です。

下手人は尊皇攘夷派の不逞浪士。

将軍<strong>徳川家茂</strong>の上洛を前に
足利将軍の木像を「逆賊」として梟首することで
幕府を挑発したというわけです。

でも、さすがに悪ふざけが過ぎましたかねぇ。

この事件により、それまで浪士たちに対して比較的寛容であった
<strong>京都守護職・松平容保</strong>は、その方針を転換。

以後、浪士への取締が強化されることとなり
ご存知、<strong>新撰組</strong>の登場となるわけです。

ちなみに、等持院の境内には
「日本映画の父」とも呼ばれた<strong>牧野省三</strong>の像があります。

牧野省三が日活を退社し<strong>、牧野教育映画製作所</strong>を設立したのが
ここ等持院の境内だったからだそうです。

こちらもチェックしておきましょう。]]>
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    <title>薩摩藩による尊攘派粛清事件･･････</title>
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    <published>2008-07-01T01:46:49Z</published>
    <updated>2008-06-30T02:23:02Z</updated>
    
    <summary>尊王攘夷派の薩摩藩士が 薩摩藩の島津久光が差し向けた藩士らと 同士討ちになるとい...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
    </author>
            <category term="history_historical_site" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>尊王攘夷派の薩摩藩士が
薩摩藩の島津久光が差し向けた藩士らと
同士討ちになるという悲劇が起こった船宿はどこか。</strong>
　（ア）寺田屋
　（イ）池田屋
　（ウ）近江屋
　（エ）酢屋]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ア）寺田屋</strong>

今日は＜歴史・史跡＞の問題。

ＮＨＫ<strong>大河ドラマ『篤姫』</strong>が好評らしいですので
たしょう関係がありそうな問題をえらんでみました。

（ちなみに<strong>和宮</strong>さんに関する問題は<a href="http://kyotokentei.net/question/temple_shrine/entry_000170.html">こちら</a>）

<strong>寺田屋</strong>さんについてはもはや説明の必要もないでしょう。

文久2年（1862）、薩摩藩国父、<strong>島津久光</strong>が
決起を企てた<strong>有馬新七</strong>ら藩内尊攘派を粛清した事件は有名ですね。

慶応2年（1866）には、ここを定宿としていた<strong>坂本龍馬</strong>が
伏見奉行に襲撃された事件も発生しています。

<strong>お龍</strong>さんがからだを張って龍馬に身の危険を知らせた
エピソードはみなさんもご存じかと思います。

寺田屋さんは、いまも営業中で、龍馬の部屋も
闘争による柱の刀傷もそのまま保存されています。

幕末・維新ファンにとっては
ぜったいに訪れておきたい場所といえるかもしれません。

ちなみに、<strong>京都検定</strong>受検者であれば
寺田屋はもちろん、<strong>池田屋</strong>、<strong>近江屋</strong>、<strong>酢屋</strong>も
ちょっとしたウンチクが語れるくらいであってほしいなと思います。
]]>
    </content>
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    <title>京漆器の加飾技法</title>
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    <published>2008-06-06T01:07:20Z</published>
    <updated>2008-06-06T04:24:16Z</updated>
    
    <summary>京漆器の加飾技法のうち、漆で模様を描き、 乾燥しないうちに金銀粉などを付着させ、...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
    </author>
            <category term="art_culture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>京漆器の加飾技法のうち、漆で模様を描き、
乾燥しないうちに金銀粉などを付着させ、
さらに漆を塗って研ぎ出す技法を何というか。</strong>
　（ア）箔絵
　（イ）青貝
　（ウ）蒔絵
　（エ）螺鈿]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ウ）蒔絵</strong>

ごぶさたしております。
ちょっと更新をサボってしまいまいましたが
いかがお過ごしでしょうか？

<strong>京都検定</strong>をチャレンジしようというみなさまにとっても
この時期はモチベーションをたもつのが
むずかしいのではないでしょうか。

試験日までは、まだ間もあるし、夏休みもある。
むしむしする今の季節に、公式テキスト片手に勉強なんて
まったく気分がのってこないもの。

ＢＬＯＧの更新もついつい。。。

それはともかく、こういうときは思い切って
実地学習はいかがでしょうか

アジサイが美しい季節。
寺社をめぐり、おいしいものを食べ、京の伝統工芸にふれれば
やる気アップすることもまちがいないですね。

とまあ、よけいなことはこの程度にして
今日は<strong>＜芸術・文化＞</strong>ジャンルの問題です。

公式テキストによりますと、漆の歴史は古く
<strong>縄文時代</strong>までさかのぼるとか。

有名な<strong>法隆寺</strong>の<strong>国宝「玉虫厨子」</strong>も漆絵がほどこされています。
（油絵だ！という人もいるようですけど）

漆の技法は<strong>奈良時代</strong>に唐の影響を受けて発展し
その後、平安遷都とともに京都に受け継がれていきます。

<strong>京漆器</strong>は<strong>室町時代</strong>以後
茶の湯の文化とともに、さらに栄えていきます。

京漆器は、器物の素材である木地選びから
塗り、加飾という工程があります。

加飾の技法としては蒔絵、螺鈿があります。

<strong>蒔絵</strong>は、まず漆で模様を描き、
乾燥しないうちに金銀粉などを付着させ、
さらに漆を塗って研ぎ出します。

<strong>螺鈿</strong>は、漆などの表面を図柄どおりに切り抜き
そこに<strong>青貝</strong>などの貝類の細片を埋め込みます。

その伝統技術と品質、デザインについては
いまさら説明するまでもないですね。

<a href="http://www.miyakomesse.jp/fureaika/">京都伝統産業ふれあい館</a>では、京漆器をはじめ、
さまざまな伝統工芸について学べますので
ぜひ、お出かけしてみてください。

雨に降られても大丈夫ですし。。。ね。]]>
    </content>
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    <title>葵祭のはじまり</title>
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    <published>2008-05-20T01:35:19Z</published>
    <updated>2008-05-30T02:01:14Z</updated>
    
    <summary>葵祭は、凶作の際に、葵を飾り、馬に鈴を付けて走らせ 五穀豊穣を祈ったことに始まる...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
    </author>
            <category term="life" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>葵祭は、凶作の際に、葵を飾り、馬に鈴を付けて走らせ
五穀豊穣を祈ったことに始まるとされるが
それはどの天皇の時代か。</strong>
　（ア）継体天皇
　（イ）欽明天皇
　（ウ）用明天皇
　（エ）推古天皇]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（イ）欽明天皇</strong>

すっかり更新をサボり、もうしわけございません。

少し、忙しかったものでついつい･･････

まあ、それはお許しいただくとして、
５月１５日には<strong>葵祭</strong>がありましたが
観にいかれた方はいらっしゃいますか？

葵祭は正式には賀茂祭。

その起源は<strong>欽明天皇</strong>（539年即位）の時代までさかのぼります。

欽明天皇の代、国内は風水害により凶作にみまわれます。

そこで<strong>ト部伊吉若日子</strong>（うらべいきわかひこ）に占わせたところ
原因はなんと賀茂神の祟り！

そこで４月の吉日に、葵を飾り、馬に鈴を付けて走らせ
五穀豊穣を祈ったことが葵祭のはじまりだというのです。

まあ、このあたりのくわしいことは公式テキストをご覧いただくとして
チェックしたいのは<strong>『源氏物語』</strong>の<strong>葵上</strong>と<strong>六条御息所</strong>との車争いですね。

斎院御禊の日、行列に参加する源氏を見ようと
２人が一条通で場所とりのケンカをしたというお話。

『源氏物語』は京都検定の必須テーマのひとつですし
ぜひ、おさえておきましょう。]]>
    </content>
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    <title>嵯峨野トロッコ列車の駅の数</title>
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    <published>2008-05-01T01:17:48Z</published>
    <updated>2008-05-01T02:08:30Z</updated>
    
    <summary>景勝地として名高い保津峡谷を縫って走る 「嵯峨野トロッコ列車」（嵯峨野観光線）の...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
    </author>
            <category term="nature_sightseeing" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>景勝地として名高い保津峡谷を縫って走る
「嵯峨野トロッコ列車」（嵯峨野観光線）の駅の数はいくつか</strong>
　（ア）３駅
　（イ）４駅
　（ウ）５駅
　（エ）６駅
]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（イ）４駅</strong>

いよいよゴールデンウィーク。
みなさま、いかがおすごしですか？

今日は<strong>＜自然・観光＞</strong>ジャンルから出題してみました。

<strong>嵯峨野観光線</strong>は、山陰本線旧線を利用して
<strong>トロッコ嵯峨駅</strong>、<strong>トロッコ嵐山駅</strong>、<strong>トロッコ保津峡駅</strong>、
<strong>トロッコ亀岡駅</strong>までの4駅、7.3キロメートルを
約25分で結んでいます。

開業は1991年。

嵯峨野観光鉄道さんのＨＰによると、開業当初は
<strong>「せいぜい20余万人程度しか乗客はこないだろう」
「３年ももたないよ」</strong>
なんていわれていたんだそうです。

でも、錆びたレールや朽ちた枕木をひとつひとつ整備し
沿線には桜を植えたり、ライトアップを試みたり｡｡｡｡｡｡

職員さんの努力とユニークなサービスのかいあって
初年度には年間68万人、現在では90万人もの
利用客を集めているんだそうです。

ロマンチック＆ノスタルジックな列車の車窓から
四季折々の渓谷美を楽しめるトロッコ列車。

列車は全席指定でチケットは前売ですが
若干の当日券も各駅で販売されるそうです。

「この連休は予定がない！」という方、
ぜひ、おでかけされてはいかがでしょうか。

新緑の中を行きはトロッコ、帰りは保津川くだりなんて
ゴールデンウィークの素敵な思い出ができそうですよ。

それはともかく、今日の問題はできがイマイチ？
ノークレームでおねがいしま〜す。

　トロッコ列車については　　<a href="http://www.sagano-kanko.co.jp/">嵯峨野観光鉄道</a>

　保津川下りについては　　<a href="http://www.hozugawakudari.jp/">保津川遊船企業組合</a>]]>
    </content>
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    <title>頼光四天王筆頭の豪傑</title>
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    <published>2008-04-14T01:18:52Z</published>
    <updated>2008-04-14T09:09:42Z</updated>
    
    <summary>一条戻り橋で羅生門の鬼の腕を切り落としたという伝説がある 頼光四天王の筆頭とは誰...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
    </author>
            <category term="life" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>一条戻り橋で羅生門の鬼の腕を切り落としたという伝説がある
頼光四天王の筆頭とは誰か。</strong>
　（ア）卜部季武
　（イ）渡辺綱
　（ウ）碓井貞光
　（エ）坂田金時
]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（イ）渡辺綱</strong>

今日は京都の伝説に関する問題です。

<strong>頼光四天王</strong>とは、平安時代中期に活躍した
<strong>源頼光（みなもとのよりみつ、らいこう）</strong>の４人の家臣のことです。

<strong>渡辺綱（わたなべのつな）</strong>、<strong>坂田金時（さかたのきんとき）</strong>
<strong>卜部季武（うらべのすえたけ）</strong>、<strong>碓井貞光（うすいのさだみつ）</strong>の
４人のことで、大江山の酒呑童子を退治したことでも知られています。

渡辺綱は四天王の中でも筆頭で
豪傑として知られていました。

<strong>一条戻り橋</strong>では羅生門の鬼の腕を
源氏の名刀<strong>「髭切りの太刀」</strong>で切り落としたとか。

また、<strong>上品蓮台寺</strong>の<strong>「蜘蛛塚」</strong>には
源頼光や四天王にまつわる逸話が伝えられています。
（これは公式テキストを参照してくださいね）

ちなみに、四天王の一人、坂田金時は
ご存知の<strong>金太郎さん</strong>！。

足柄山で頼光と出会い、その武勇を認められて
随行するようになったんだそうです。

それはともかく、京都には鬼やら蜘蛛やら妖怪変化やら
魑魅魍魎、おどろおどろしい伝説がいっぱいありますね。

まあ、1000年の都ですから、戦あり、暗殺あり、讒言あり。

やっぱり、人々のうらみつらみや悲しみが
鬼となって出てくるのかなあ。。。]]>
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    <title>黄梅院の襖絵「竹林七賢図」の作者は？</title>
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    <published>2008-04-01T07:11:32Z</published>
    <updated>2008-04-01T01:04:33Z</updated>
    
    <summary>大徳寺の塔頭である黄梅院の客殿の 襖絵「竹林七賢図」（重文）は誰の作品か。 　（...</summary>
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            <category term="architecture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>大徳寺の塔頭である黄梅院の客殿の
襖絵「竹林七賢図」（重文）は誰の作品か。</strong>
　（ア）雲谷等顔
　（イ）狩野永徳
　（ウ）墨渓
　（エ）渡辺了慶]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ア）雲谷等顔</strong>

<strong>雲谷等顔（うんこくとうがん）</strong>は
安土桃山時代の水墨画家で雲谷派の祖。

もとは肥前の武士の子として生まれますが
父の戦死に伴い<strong>毛利輝元</strong>に仕え、絵師として活躍します。

毛利氏の領国であった周防国は<strong>雪舟</strong>ゆかりの地でもあります。

そこで等顔もまた、雪舟の画風を慕い、自ら雪舟末流を名乗り
雪舟の遺址・<strong>雲谷庵</strong>を再興します。

<strong>大徳寺</strong>の塔頭・<strong>黄梅院</strong>の襖絵<strong>「竹林七賢図」「山水図」</strong>は
いずれも重要文化財で、等顔の代表作として知られています。

この竹林の七賢とは、中国・魏末期に、
竹林で酒をくみかわしては清談を行なったとされる
七人の風流人、インテリのこと。

京子は等顔の「竹林七賢図」は写真でしかみたことはないのですが
水墨画のタッチに老荘思想の雰囲気というか空気感を感じ
ゆったりとした気分になります。

ということで、今日は＜建築・庭園・美術＞のジャンルから
出題してみました。]]>
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    <title>縁結びと花の名所、地主神社</title>
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    <published>2008-03-07T08:14:26Z</published>
    <updated>2008-03-13T02:04:15Z</updated>
    
    <summary>近年良縁の神として人気を集めている地主神社は 古くから花の名所として知られている...</summary>
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            <category term="temple_shrine" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>近年良縁の神として人気を集めている地主神社は
古くから花の名所として知られているが、その花は何か。</strong>
　（ア）梅
　（イ）椿
　（ウ）桜
　（エ）桃]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（ウ）桜</strong>

少しずつ春めいてきて
花粉症にクシャクシャになりながらも
どことなくウキウキした気分になる今日このごろ。

みなさま、いかがおすごしでしょうか？

春といえばやはり<strong>桜</strong>です。
今年の京都の桜（ソメイヨシノ）の開花予想は
３月３１日と、例年並だそうです。

ということで、今日は桜に関する問題を選んでみました。

<strong>地主神社（じしゅじんじゃ）</strong>の桜は<strong>地主桜（じしゅざくら）</strong>と呼ばれ
ここは古くからの桜の名所として知られています。

地主桜は一本の木に八重と一重の花が咲くという
たいへん珍しい品種です。

その昔、<strong>嵯峨天皇</strong>が行幸された折に
この桜のあまりの美しさに、２度、３度と
御車をお返しになったことかた、
別名<strong>「御車返し（みくるまがえし）の桜」</strong>とも呼ばれています。

ところで、地主神社といえば縁結びの神様としても有名ですね。

本殿の前には<strong>「恋占いの石」</strong>という一対の石があり
一方の石から他方の石へと、目を閉じてたどり着くことができれば
恋がかなうというのです。

とはいえ、京子は地主神社に桜を愛でにいったことはありますが
良縁祈願にいったことはありませんので、いちおう。。。ね。]]>
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    <title>御香宮神社に建つ「伏見義民碑」の撰文</title>
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    <published>2008-03-01T10:32:22Z</published>
    <updated>2008-03-03T01:19:27Z</updated>
    
    <summary>御香宮神社に建つ「伏見義民碑」では、文珠九助ら7人が 伏見奉行・小堀政方の悪政を...</summary>
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            <category term="history_historical_site" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>御香宮神社に建つ「伏見義民碑」では、文珠九助ら7人が
伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴した「伏見騒動」を
義挙として讃えているが、その撰文は誰によるものか。</strong>
　（ア）伊藤博文
　（イ）山県有朋
　（ウ）大隈重信
　（エ）勝海舟]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（エ）勝海舟</strong>

今日の問題は<strong>伏見騒動</strong>。

歴史の授業ではあんまり習わないこの事件ですが
京都検定を受検される方なら、聞いたことはありますよね。

公式テキストの年表にも、天明５年（1785）のところに
<strong>「文殊九助ら伏見奉行の横暴を幕府に直訴（伏見騒動）」</strong>
とあります。

伏見騒動は、<strong>文珠九助</strong>ら伏見の町人たちが
立ち上がった事件です。
（↑公式テキストでは「文殊九助」。どちらが正しいのか？ですが）

伏見奉行の<strong>小堀政方（こぼり まさみち）</strong>は
赴任当初こそ名奉行と呼ばれていましたが
やがて色におぼれ、奸臣にのせられ
悪政を重ねるようになります。

度重なる暴挙に伏見の人々はもう限界！

そこで、文珠九助らは江戸にくだり
当時、ご法度であった幕府への直訴を実行します。

これにより小堀政方は罷免されますが
心労がたたり、文珠九助らも獄中であいついで
病死してしまいます。

まさに、命がけの義挙！

そして明治。。。

伏見の人々は、この義挙を後世に伝えるために
<strong>御香宮神社</strong>に<strong>「伏見義民碑」</strong>を建立。

題字は<strong>三条実美</strong>、
撰文は<strong>勝海舟</strong>があたりました。

なお、現在でも5月になると
彼らの慰霊祭が行われているのだそうです。

日本全国には、下総国の<strong>佐倉惣五郎（さくら そうごろう）</strong>をはじめ
「義民」と呼ばれる人々がたくさんいます。

京都にもわが身の危険をかえりみず
人々のために行動した「義民」がいたんですね。
]]>
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    <title>井上八千代と「井菱」</title>
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    <published>2008-02-14T04:01:36Z</published>
    <updated>2008-02-15T01:00:57Z</updated>
    
    <summary>京舞井上流の流儀の紋「井菱」は 初世井上八千代が御殿舞を学んだ奉公先の奥方から ...</summary>
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    </author>
            <category term="art_culture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>京舞井上流の流儀の紋「井菱」は
初世井上八千代が御殿舞を学んだ奉公先の奥方から
賜ったものであるが、その家はどこか。</strong>
　（ア）鷹司家
　（イ）近衛家
　（ウ）九条家
　（エ）二条家]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（イ）近衛家</strong>

<strong>近衛家</strong>は五摂家筆頭。

<strong>五摂家</strong>とは、藤原氏嫡流の公家の中でとくに家格の高い家柄で
<strong>近衛家、九条家、一条家、二条家、鷹司家</strong>の五家が
これにあたります。

このうち近衛家は、<strong>藤原不比等</strong>の次男・<strong>藤原房前</strong>を祖とする
藤原北家の嫡流にあたり、五摂家筆頭とされています。

で、今日の問題の<strong>京舞井上流</strong>。

井上流は日本舞踊の一流派で、
上方舞の中でも京都固有の特色をもつことから
とくに<strong>「京舞」</strong>と呼ばれています。

初世<strong>井上八千代</strong>は本名<strong>井上サト</strong>。

寛永年間、<strong>近衛家</strong>に奉公にあがり
教育係の老女、<strong>南大路鶴江</strong>から
舞をはじめとする芸事を学んで、舞の師匠として独立します。

ちなみに「八千代」の名は
南大路鶴江の餞別の言葉にちなんだもので
流儀の紋の<strong>「井菱」</strong>も
近衛家奥方から賜ったそうです。

初世は御殿風の座敷舞と地唄舞で流派の基盤をつくり
その後、姪の<strong>井上アヤ</strong>が二世を襲名し
井上流を発展させます。

<strong>三世（片山春子）</strong>は、明治５年（1872）、
<strong>「都をどり」</strong>創設にあたり振付を担当。
それ以後、祇園町と井上流の関係が深まり
今日に至っているんだそうです。

ちなみに<strong>四世（片山愛子）</strong>は
太平洋戦争で中断されていた「都をどり」の再開に
たいへん尽力された方だと聞いておりますし
すでにお亡くなりになりましたが
人間国宝としても著名な方ですね。

現在の井上八千代さんは四世のお孫さんにあたるそうで
平成12年（2000）より、五世家元として活躍されています。

じつに２世紀にわたり連綿と受け継がれる伝統芸。

<strong>「ヨーイヤサァー」</strong>のかけ声とともに
京都に春を告げる「都をどり」。

みなさんも、ぜひ、お出かけください。

くわしくはこちら　→　<a href="http://www.miyako-odori.jp/">祇園甲部歌舞会</a>]]>
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    <title>お祝いをいただいたら？</title>
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    <published>2008-02-01T11:16:55Z</published>
    <updated>2008-03-04T09:41:52Z</updated>
    
    <summary>京都では、結婚、出産、新築など お祝いを頂いた際にお返しすることを何というか。 ...</summary>
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    </author>
            <category term="life" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>京都では、結婚、出産、新築など
お祝いを頂いた際にお返しすることを何というか。</strong>
　（ア）おいど
　（イ）おぶー
　（ウ）おもと
　（エ）おため]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（エ）おため</strong>

<strong>「おため」</strong>とは、結婚、出産、新築など
いろいろなお祝いをいただいたときに返礼することで
<strong>「おうつり」</strong>ともいいます。

そこには「御為＝あなたのために」という意味があるとか
「慶び事が移りますように」との願いがこめられているとか。

一般に、いただいたお祝い金の１割程度を
お返しするケースが多いようです。

京都ではもちろん、関西では
たいてい通じる言葉ですね。

ちなみに、他の選択肢についてですが
京ことばで<strong>「おいど」</strong>は「おしり」
<strong>「おぶー」</strong>は「お茶」の意味になります。

「おもと」は万年青（おもと）ですから
植物の名前です。]]>
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    <title>「匠斎庵」と呼ばれる江戸中期の町家</title>
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    <published>2008-01-22T02:41:00Z</published>
    <updated>2008-01-22T03:58:26Z</updated>
    
    <summary>通称「匠斎庵」と呼ばれる 鞍馬街道に残る江戸中期の町家はどれか? 　（ア）柏木家...</summary>
    <author>
        <name>kyoko</name>
        
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            <category term="architecture" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kyotokentei.net/question/">
        <![CDATA[<strong>通称「匠斎庵」と呼ばれる
鞍馬街道に残る江戸中期の町家はどれか?</strong>
　（ア）柏木家住宅
　（イ）八木家住宅
　（ウ）小川家住宅
　（エ）瀧澤家住宅
]]>
        <![CDATA[<strong>正解は（エ）瀧澤家住宅</strong>

今日は町家の問題。

昨年の試験で<strong>二条陣屋（小川家住宅）</strong>が出題されていましたので
今回、とりあげてみることにしました。

でも、こんなところからも出題されるんですね。
奥が深いというかなんというか･･････みなさんはわかりましたか？

それはともかく！
<strong>瀧澤家住宅</strong>は通称<strong>「匠斎庵 (しょうさいあん)」</strong>。

鞍馬街道に残る江戸中期の町家遺構で
重要文化財に指定されています。

母屋は宝暦10年（1760）に建築。
木造2階建て、切妻造り、瓦葺の重厚な雰囲気は
やはり一見の価値あり！です。

鞍馬を訪れたときは、ぜひ立ち寄って
江戸期の町家の暮らしぶりを感じとってみてはいかがでしょうか？

さて、今月末にはみなさまのお手元に
京都検定の合否の通知が届くことになります。

みなさん、やきもきされているのではないでしょうか？

通知が届きましたら
　「受かったよ！」
　「ダメだったよ。。。」などなど
試験の感想と一緒にコメントをもらえるとうれしいです。]]>
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