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京子のズバり予想問題
京都の近代化に貢献した会津藩士
2007年01月18日 11:18(歴史・史跡)
明治4(1871)年に京都府顧問として迎えられ
京都の近代化に貢献した会津藩士はだれか?
(ア)山川浩
(イ)秋月悌次郎
(ウ)広沢安任
(エ)山本覚馬
正解は(エ)山本覚馬
山本覚馬は公式テキストには記載されていませんが
京都の近代史では要チェックの人物ですね。
山本覚馬は会津藩士山本権八の長男。
藩校日新館に学び、後に江戸で佐久間象山、勝海舟らに蘭学を学び
その開明的思想は藩内でも大いに注目されていました。
会津藩主・松平容保が京都守護職を拝命すると、それに従って上洛。
蛤御門の変では砲兵隊長として活躍しますが
鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、覚馬は薩摩藩邸に幽閉され
獄中で視力を失ってしまいます。
しかし、そんな覚馬の目は日本の将来をしっかりと見据えていました。
獄中から、日本の将来に向けた国家構想「管見(かんけん)」を建白。
その先見性と識見は明治政府の要人から高い評価を受けます。
その覚馬を登用したのが京都府でした。
釈放された覚馬は、明治4(1871)年
槇村正直知事に京都府顧問として迎えられます。
覚馬は、東京遷都によって急激にさびれていた京都の復興に尽力。
産業振興や学校・病院などの社会インフラの整備に取り組み、
その後も、京都府会議長、京都商工会議所会頭として活躍します。
ちなみに覚馬の妹の山本八重子は新島襄夫人。
覚馬自身もキリスト教を深く信仰し、
同志社創立に大いに協力したそうです。
当時、不幸にして朝敵の汚名をきせられた会津藩。
会津藩士は明治政府から冷遇され、風当たりも強かったといいます。
そのあたりのことは
NEWSの山下智久くんとKAT―TUNの田中聖くん主演の
テレビ朝日系新春ドラマ『白虎隊』をご覧になった方は
もうご存知ですね(・・・・・・カンケイないですか)
ともかく、荒廃の危機にある京都のまちを復興させることに
情熱を注いだ山本覚馬。
まさに近代京都の礎を築いた人物として
ぜひ、覚えておきたいものです。
【コメント】

