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京子のズバり予想問題
御香宮神社に建つ「伏見義民碑」の撰文
2008年03月01日 19:32(歴史・史跡)
御香宮神社に建つ「伏見義民碑」では、文珠九助ら7人が
伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴した「伏見騒動」を
義挙として讃えているが、その撰文は誰によるものか。
(ア)伊藤博文
(イ)山県有朋
(ウ)大隈重信
(エ)勝海舟
正解は(エ)勝海舟
今日の問題は伏見騒動。
歴史の授業ではあんまり習わないこの事件ですが
京都検定を受検される方なら、聞いたことはありますよね。
公式テキストの年表にも、天明5年(1785)のところに
「文殊九助ら伏見奉行の横暴を幕府に直訴(伏見騒動)」
とあります。
伏見騒動は、文珠九助ら伏見の町人たちが
立ち上がった事件です。
(↑公式テキストでは「文殊九助」。どちらが正しいのか?ですが)
伏見奉行の小堀政方(こぼり まさみち)は
赴任当初こそ名奉行と呼ばれていましたが
やがて色におぼれ、奸臣にのせられ
悪政を重ねるようになります。
度重なる暴挙に伏見の人々はもう限界!
そこで、文珠九助らは江戸にくだり
当時、ご法度であった幕府への直訴を実行します。
これにより小堀政方は罷免されますが
心労がたたり、文珠九助らも獄中であいついで
病死してしまいます。
まさに、命がけの義挙!
そして明治。。。
伏見の人々は、この義挙を後世に伝えるために
御香宮神社に「伏見義民碑」を建立。
題字は三条実美、
撰文は勝海舟があたりました。
なお、現在でも5月になると
彼らの慰霊祭が行われているのだそうです。
日本全国には、下総国の佐倉惣五郎(さくら そうごろう)をはじめ
「義民」と呼ばれる人々がたくさんいます。
京都にもわが身の危険をかえりみず
人々のために行動した「義民」がいたんですね。
【コメント】

